私が大学生の顷は声优アイドルをしていた。声优のお仕事は少なかったけど(これは私が下手なせい)、アイドルの稼动が多くて每日事务所に通ってダンスして歌ってしていた。
杂志の撮影などはとても乐しかった记忆。メイクさんやスタイリストさんが大好きだった。
一年生の顷にメジャーデビューしたから大学生活は舍てようと思ってサークルなどには参加しなかったしできるだけ取りやすい单位をとれたらなんて甘い考えでいた。
だがしかしbutそれを覆す女が现れた。
Sちゃんである。そいつはもう面白くて见た目は私とはタイプ别の绮丽系。美人系。性格はとてもわかりやすい强がりでジャイアンだ。(ジャイアンなのは私にだけらしい。)(イケメンの前ではとても可爱い)
Sちゃんといると每日が乐しかった。每日大学で骚いで私はレッスン、彼女はバイト、夜は涩谷で集合してまた骚ぐ。
酒がなくても乐しかった。クラブじゃないのにクラブかのようだった。ただ公园にいるだけ、ただファミレスにいるだけで世界の中心だった。私もSちゃんもきっと世界で一番笑い合っていた。
Sちゃんは嘘にもよく气がついた。私が少しの隐し事をしてもすぐわかる。それは今も变わらず、だから私は彼女に隐し事はしなくなった。
だからこそ少しお互いが距离を置いた时期もあった。もう2度と会わないだろうと思ったこともあった。なんでそんなこと闻いてくるのって怒ったこともあった。けど结局亲友は彼女だけだし彼女も私に何かあったらいつでも驱けつけてくれるんだ。
最后の方の活动で私が消えた。事务所のトイレで倒れた顷だ。真冬だったかなあ。倒れた次の日も何故か大学すっ飞ばしていつのまにか彼女はうちにいた。うちでケーキを食べていた元气に。まーも食べなよってそういった。私の大好きなHARBSのケーキを买ってきてくれた今も鲜明に觉えてる。
それから彼女はずっと一绪にいてくれた。私が外に出られるようになるまで结构时间はかかったが、うちにきて无理矢理お菓子作りをさせたり、料理したり、バレンタインデーの顷には「すきぴに作るのまーも手传って」って彼女のすきぴへのクッキー作りの手传いをした。
今思えば彼女なりの思いやりだったんだよな。あいつ优しいよな。なんて思う。
气づけばいつでも本当に辛い时には急に连络をくれる。そんな彼女に异变を感じたのは二ヶ月前、横浜でお茶した时だ。
待ち合わせまでは普通だったのに、目の前にいる彼女はすごくぎこちなかった。まずよく食べる彼女が二日醉いだと言って全然手をつけない。二日醉いで私に会いにくるかな?おかしいな?なんて考えていたんだけど、强がりでジャイアンだからもちろん话してはくれない。
そのまま横浜のニューマンをさらっと见て解散した。违和感と虚しさしかなかった。なにかあるなら助けてあげたい、このままもう2度と会えなくはならないだろうかと考えながら归った。
すごく雨が降った日だった。その日悲しさに任せて私はたくさん发の毛を切った。
その后ももう少ししたら会おう、来周会おう、月末会おう、来月にしよう、と会えない日が续いていた。
その后少しして私は入院した。(このことの详细は别で何かの机会で书きます。)入院したことなんて亲族しか知らないのに何故か彼女から急に连络が来た。まー元气にしてるの?って。
なーんだ。やっぱり私の亲友じゃないか。ホッとした。全部话したら、そっか。お疲れ样だったね。えらかったね。って言ってくれた。
Sちゃんの话も闻いて、あぁ私たちはもう大学生じゃないもんねなんて、わかりきったこと言って切なくなった。そう私たちは涩谷でぶちあがってた顷の大学生ではない。
でもきっと多分ずっと彼女は私の邻にいる。
これからも、どうぞよろしくね。なんて歌っておこうかな。