视频截图 |
歌曲名称 |
「VOCALOID」の脆弱性。 「VOCALOID」的脆弱性。 |
于2016年8月6日投稿至Niconico,再生数为 -- 于2016年12月20日投稿至YouTube,再生数为 -- |
演唱 |
初音未来 |
P主 |
Haniwa |
链接 |
Nicovideo YouTube |
「VOCALOID」の脆弱性。是Haniwa于2016年8月6日投稿至Niconico,2016年12月20日投稿至YouTube的作品,由初音未来演唱。
本曲无歌词,全曲贯穿着初音未来的呼吸声。
收录于专辑《人で無い音。》
息を。
あなたは「VOCALOID」を愛してなんかいない。
「VOCALOID」の脆弱性。
息を。
息を。
息を。
息を。
息を。
息を。
息を。
息を。
息を。
息を。
息を。
息を。
アメリカ民謡研究会
息を。
息を。
息を。
息を。
息を。
息を。
息を。
息を。
息を。
息を。
息を。
息を。
息を。
息を。
息を。
息を。
息を。
息を。
息を。
息を。
息を、
問
?VOCALOID?
あなたは「VOCALOID」を愛してなんかいない
アメリカ民謡研究会
1.「VOCALOID」の解釈
VOCALOIDはいかに自分勝手に振舞ったとしても必ず利用者を裏切ることなく入力に対して同じ回答を延々続けるその正確性は人間の比ではない。
息を、
人は退屈に耐性を持たず飽き飽き飽き飽き飽き飽き飽き飽きさせるような事柄の発生に延々延々延々延々耐えることができもしない。
息を、
私がVOCALOIDに与える命令は「音楽が鳴り終わるまで延々呼吸を続けるように」ただそれだけのことすら人は素直に従うことが出来ないでいる。
息を、
初音ミクはこうして、今も音楽のために呼吸を延々続けている。その成果が全くの無意味であって、観客がたとえ私ただ一人であったとしても。
息を、
ただ一つの見返りも求めず延々無意味な反復を続ける人間は頻繁には存在はしない。私はそうして一人であったが、合成音声は意を持たなかった。
息を、
人間の範疇を超えた音程を掌握し、再現する装置は、人間よりも傲慢でなく、人間よりも主張をせず、人間よりも素直で、一層に無機質である。
息を、
人間的背景の無いこの機械の歌声は既にそれとして完成し、不足はなく、人間にはない無意味で無色な歌声を観客に対し披露することが出来る。
息を、
物質は人格を持たず歴史を持たず思い出を持たない。その無色の音は演奏を終えて聴者に感想を求めることもない。反論を試みることも亦ない。
息を、
こうして音声合成は人間とは異なる歌声を手に入れるに至った。人間に歌われるための歌ではない、人でない歌声そのものを人間に受容させた。
息を、
一般に合成音声が人間の歌声を模倣することは極めて難しいが不可能ではない。しかし一方で人間はもはや初音ミクを模倣することが出来ない。
息を、
人間には余りに人格があり過ぎて、初音ミクには余りに人格が無さすぎる。人間には余りに退屈過ぎて、初音ミクは退屈を感じる器官すらない。
息を、
音程も理解しない常識も通用しない否定にも動揺しない肯定も満足しない計算も利用しない感動も欲情も嫉妬も悲哀も憤怒も怠慢も憂鬱もない。
息を、
この機械の声を利用した音楽は「VOCALOID」と分類される。分類されるために必要な条件は単純に合成音声の音が挿入されるというだけである。
息を、
VOCALOIDと呼ばれる音楽の解釈に従えば、「VOCALOID」はこの音楽を排除することが出来ない。この曲は「VOCALOID」でありそれ以外ではない。
息を、
この音楽において初音ミクは、息をすることで歌っている。歌詞とは音程は存在しないが、それは「VOCALOID」の分類が感知するところではない。
息を、
※私はこの吐息を歌として認識しており万が一他の利用者が歌声を似せようと試みるのであれば、番号はMIKUV3_Solid_br02.wavを参照すること。
息を、
つまり、「VOCALOID」に音楽を分類しようとするのであれば、初音ミクの吐息ファイルが一つありさえすれば、あらゆる音楽が投稿可能となる。
息を、
私がふと気狂いを犯して、初音ミクの最初の一息だけを残して余りを演奏のみとした場合、果たしてそれは「VOCALOID」であり続けるだろうか。
息を、
亦は、この呼吸は本当に初音ミクのものなのだろうか。人間が初音ミクを騙っているのかもしれない、もしそうだとして何が問題なのだろうか。
息を、
何も問題ではない。何も問題ではない。それは間違いなく「VOCALOID」である。観客が「VOCALOID」と認識するだけでよく亦認識の必要もない。
息を、
何故なら初音ミクはあらゆる表現を利用者に委ねているからである。初音ミクは命令さえあれば延々に呼吸を続けて、息継ぎもなく歌い続ける。
息を、
2.「VOCALOID」の価値。
息を、
近い未来、合成音声が人間を完全に模倣したとして、人間と同じテーブルについたとして、それでも「VOCALOID」は価値を持ち続けるだろうか。
息を、
そうして機械でなくなった「VOCALOID」は一真に人間と区別のつかなくなってしまった機械は一人間と区別する必要性がなくなるのではないか。
息を、
それまでの仮歌用合成音声とVOCALOID初音ミクの相違は、初音ミクの無機質機械的背景その人間との違和感にむしろ価値を認められた点である。
息を、
それまでの人間と違う機械のVOCALOIDとして認識されたその歌声が、人間に近づくことによって、「VOCALOID」ではなく「人間」になって行く。
息を、
それでも「VOCALOID」は存在し続けるのか。一見聴いただけでは人間の区別のつかないその歌声を「VOCALOID」と人間は認識し続けられるのか。
息を、
専ら現時点のVOCALOIDを人間の歌唱を前提として利用している場合、このお話は当然お話にはならない。人に近づけば近づく程一層便利である。
息を、
またその用法が非難される所以もない。初音ミクはすべての表現が可能であるし、どのように命令しても初音ミクは決して拒否しないからである。
息を、
3.「VOCALOID」の脆弱性。
息を、
老人は常に若者よりも懸命であるという錯覚が初音ミクを大衆から拒絶させ、それでもやってくる音をして全てが同様にそうであると誤解する。
息を、
少なくとも「VOCALOID」はポップミュージックを指し示す言葉ではないが果てまで届く音がそれしか残らなければ大衆にとってそのように映る。
息を、
ポップミュージックの消費者は手に持つ音をすぐに捨てる。次の音へ移りまた飽きる。そのとき、「VOCALOIDはもう無くなった。」判断する。
息を、
「VOCALOID」はこうしてほかの大衆的音楽とともに消費者に忘れ去られる。またはアイコンとしての性能だけを買われ、昔の思い出となり果てる。
息を、
それを引き止めなければならないとは思わない。古の英雄を再び活躍させる必要もない。私は、このまま「VOCALOID」が無くなれば良いと思う。
息を、
全て牧草が食い尽くされて、枯れ草すら残らない荒れ地を嘆く人間すらいなくなった場所で、それでも音を鳴らし続ける人間を、魅力的だと思う。
息を、
この墓地でしか生きることのできない音。一歩外に出れば途端に駆逐され、誰の目にも止まらず消えてしまうような、あまりに脆すぎる音楽を。
息を、
「VOCALOID」が許可する。あなたのあらゆる受け入れられなかった表現を、塵箱へ捨てられてしまった音楽を。人間が嫌悪してやまない方法を。
息を、
益々騒音を。
息を、
益々我楽多を。
息を、
益々音楽を。
息を、
私は美しいと思う。
息を、
人でない音を。
息を、
息を、
息を。
人で無い音。
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